デルタ株が蔓延する中、医療関係者には大変申し訳ないと思いつつ施身聞偈の心境で、21日新国立劇場で初演だったアンドロイドオペラ"Super Angels"を見に行きました。

施身聞偈の雪山童子は聞いた真理を後世に残すために書き留めましたが、凡人の私が書き留められるのは真理ではなくほんの僅かな感想です。

『Super Angels スーパーエンジェル』
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/super_angels/
総合プロデュース・指揮:大野和士
台本:島田雅彦
作曲:渋谷慶一郎

演出監修:小川絵梨子
総合舞台美術:針生 康
映像:WEiRDCORE

振付:貝川鐵夫
舞踊監修:大原永子

演出補:澤田康子
オルタ3プログラミング:今井慎太郎

ストーリーの説明は省くのでリンクで確認して下さい。
こうやって名前を並べるだけでも超豪華メンバーです。

作曲の渋谷慶一郎さんは
2012年のボーカロイド・オペラ「THE END」でボーカロイドに自分が死ぬかどうか自問自答させたり、2018年にアンドロイド・オペラ「Scary Beauty」でアンドロイドのオルタにオーケストラの指揮をさせたり、人間とテクノロジーの関係、生と死の境界を直接触ろうとするような作品に惹かれて10年ほど追いかけている作曲家です。

さて、公演の感想はどこからどう書こうか…何せ映像も音楽も凄まじい情報量で処理が追いつかず、昔のパソコンよろしく頭がフリーズ気味です。

とにかく映像と舞台美術は素晴らしいものでした。
ジャングルジム状のセットは映像ともシームレスに繋がっているようにも見え、様々な場面で表情を変え、素晴らしい効果を生み出していました。

映像で表されたマザーの顔は口を動かす度に人種がクルクルと変わっているように見えましたが、全体的には漢代の俑のようなイメージで、死を感じました。
もしかすると能面をモチーフにしているかもしれませんが、私はむしろ古代中国の墳墓から出土する女性俑のように感じました。

エリカとアキラが交換した笛と土偶…何故笛と土偶なのかが謎ですが、土偶と思われるモチーフはその後映像として何度も出てきます。
もしかすると土偶が出てくるからマザーの顔も俑のように見えたかもしれません。

渋谷さんの音楽はノイズを多用し圧倒する感じかと思いきや、意外にもそれらは控え目でオルタ3も旋律のある歌として人間とハモッていました。
事前に公開されたYouTubeで渋谷さんは「あえて3度でハモらせている」「ハモることで逆に強烈な違和感を感じさせる」と言うようなことを仰っていましたが、私が普段からノイズやボカロを聴き過ぎて慣れているせいか、人間とアンドロイドが一緒に歌ってもあまり違和感は感じませんでした。

ところで、渋谷さんの即興でない作品は主旋律がわりと目立つ気がします。こういうの、ホモフォニーと言うんでしょうかね?
歌を伴った作品だからかもしれませんが、随所にちょっと甘くてメランコリックな
「あ、渋谷さんの旋律」
と感じるものが聞こえました。

オーケストラを聴くのは数年ぶりで、それに加えて人間の歌、オルタ3の歌、エレクトロニクスと、ホールの大空間を存分に使った音響に浸ることができました。
作曲者である渋谷さん本人が公演中ミックスをやっていたので、バランスが素晴らしく良かったのだと思います。

このオペラで際立っていたのは子供達で、
白眉だったのは、終盤オルタ3を前に世田谷ジュニア合唱団とホワイトハンドコーラスの子供達が声と手話で歌うシーンでした。
まず、子供達の歌と手話が見事でした。
特に手話(「手歌」と言うらしいです)の子供達の動きは全身全霊を傾けた生命の輝きで、ペース配分をする大人のプロの動きとは全く違う魅力があり、歌っている内容そのものを表す存在に思えました。
そして、子供達の方を向いたオルタ3は嬉しそうに体を揺らし、子供達の動きが熱を帯びるほどにその動きは大きくなっていき、そのうち感極まって抱き合うのではないかと思うほどの一体感でした。

オルタ3の歌については、帰り際に
「何を歌ってるか分からなかった」
と不満そうにしている人がいました。私は歌を音響として聞いてしまう方なので、字幕さえあればオルタ3のセリフが聞き取れなくても音響として満足なのですが、普通の人はそうでもないかもと思いました。
ただ、オルタ3が人間並の滑舌の良さを目指すべきとは思いません。アンドロイドにはアンドロイドにしか出来ない表現があり、人間と違うところが面白く、それが人間の表現の拡張に繋がったりするからです。

興味深く思ったのはオルタ3の歌の旋律で、しきりに何か既視感のようなものを感じるので何だろうと考えてみたら、まず声明が思い浮び、次に柴田南雄の骸骨図が思い浮かびました。音階も方法も違うのに何故それらが頭の中で結びつくか謎です。

実は渋谷さんの作品に興味を惹かれるのは、私自身が「機械と同化したい」「機械になりたい」と言う願望を心の片隅に持っているからでもあります。
この願望は他人に言うと心配されることが多いので、あまり口に出した事はありませんが、考えて見れば機械と精神の同化をモチーフにした作品はこれまでにもいくつか見ていて、案外こう言った願望は普遍的かもしれないと思いました。

唯一若干の不満を感じたのはストーリーです。
「機械に支配されたディストピアからの解放」
という使い古された設定に、何故この設定でないと人間とテクノロジーの関係を表現できないのだろうか?と反発を感じ、価値観が古いと感じました。
もしかすると現実はもっと先を行っているかもしれません。

私にとっての良い作品は、咀嚼しても咀嚼しても解明したい謎が残り、何度も反芻して考える作品です。
もう3回くらい見たいです。
(ついでに言うなら「THE END」もあと3回くらい見たいものです)

それにしても、どうして渋谷さんの作品はいつも上手く言語化できないのかなぁ。
読み返してみても全く感動が伝わらない…