先日、「味のある演奏」に拘る人がいました。もっと音楽の本質に迫りたいので、テクニックについてあれこれ言われるのは不満のようでした。
ふむ…
「味のある演奏」はテクニックとは関係ない、むしろ対局にあるくらいに思う方もいますが、そんな事は全くありません。
自分で味わい深いと感じていても、それを同じように他人に感じさせるにはテクニックが要るからです。
訓練を積んでいない人が「味のある演奏」をしたと思っても、多くは本人にしか分からない自己満足です。
例えば小さい音で弾いて下さいと言われた時、訓練していない人だと自分が小さく弾いてるつもりになっているだけで、実際には小さくなっていないことが殆どです。
もう一つ例を挙げましょう。
基本から外れたクセのある演奏と言うのがあります。
歌ならわざと音程を外したり発音の仕方を変えたりして独特のニュアンスを表現したりする例です。
基本的なテクニックのない人がそれを目指すと、全般に自分ではコントロールができないので、聴くに耐えない悲惨な歌になります。
一方テクニックが充分にあるけれどもわざとやる場合は、どこをどの程度外すとどんな風に聞こえ、こう言う発音はこんな印象を与える、と言う事が分かってやっているので、聴く人はその外れ具合に独特の面白さを感じる事ができます。
でも、もちろん例外もあります。それは音楽に対する思いが実力を凌駕するほど強い時です。
拙い演奏でも人の心を揺さぶる事があるのは、そう言う時です。
とは言え日常的にそんな強烈な思いを抱いている人は滅多にお目にかからないので、これに期待すると童謡の「待ち惚け」と同じ結果になります。
また、それほど訓練していないのに成立している場合は、過去にその人が別の分野で相当な訓練をしていて、カバー出来るほど引出しが多いか、素人目には分からないだけでプロが見たらレベルが低いかです。
大御所の演奏家やパフォーマーがテクニックを捨てたパフォーマンスを行ない、それが人々を感動させる事もあります。これらの芸は長年にわたる熟考と訓練の末に敢えて否定しているので、誰もが無条件に真似できるものではありません。
演奏の練習はどうしても技術偏重になりがちで魅力を損ねている部分があるのは事実です。技術偏重が時には本質を見る目を曇らせる事もあり、そのために敢えて捨てる人もいる訳で、バランスの難しい所です。
ただ、テクニックを否定し頼らないと言う事は、つまり自分の才能にのみ頼ると言う事で、実は訓練で獲得した表現方法を使うよりも遥かにシビアなのです。
表現すると言う事はそんな甘い物ではありません。
自己満足で充分と言う人なら、まぁそれはそれで良しとしましょう。でも、何か演奏に対してこうありたいと言う目標があるなら、諦めてちゃんと基本的なテクニックは磨くべきです。
ふむ…
「味のある演奏」はテクニックとは関係ない、むしろ対局にあるくらいに思う方もいますが、そんな事は全くありません。
自分で味わい深いと感じていても、それを同じように他人に感じさせるにはテクニックが要るからです。
訓練を積んでいない人が「味のある演奏」をしたと思っても、多くは本人にしか分からない自己満足です。
例えば小さい音で弾いて下さいと言われた時、訓練していない人だと自分が小さく弾いてるつもりになっているだけで、実際には小さくなっていないことが殆どです。
もう一つ例を挙げましょう。
基本から外れたクセのある演奏と言うのがあります。
歌ならわざと音程を外したり発音の仕方を変えたりして独特のニュアンスを表現したりする例です。
基本的なテクニックのない人がそれを目指すと、全般に自分ではコントロールができないので、聴くに耐えない悲惨な歌になります。
一方テクニックが充分にあるけれどもわざとやる場合は、どこをどの程度外すとどんな風に聞こえ、こう言う発音はこんな印象を与える、と言う事が分かってやっているので、聴く人はその外れ具合に独特の面白さを感じる事ができます。
でも、もちろん例外もあります。それは音楽に対する思いが実力を凌駕するほど強い時です。
拙い演奏でも人の心を揺さぶる事があるのは、そう言う時です。
とは言え日常的にそんな強烈な思いを抱いている人は滅多にお目にかからないので、これに期待すると童謡の「待ち惚け」と同じ結果になります。
また、それほど訓練していないのに成立している場合は、過去にその人が別の分野で相当な訓練をしていて、カバー出来るほど引出しが多いか、素人目には分からないだけでプロが見たらレベルが低いかです。
大御所の演奏家やパフォーマーがテクニックを捨てたパフォーマンスを行ない、それが人々を感動させる事もあります。これらの芸は長年にわたる熟考と訓練の末に敢えて否定しているので、誰もが無条件に真似できるものではありません。
演奏の練習はどうしても技術偏重になりがちで魅力を損ねている部分があるのは事実です。技術偏重が時には本質を見る目を曇らせる事もあり、そのために敢えて捨てる人もいる訳で、バランスの難しい所です。
ただ、テクニックを否定し頼らないと言う事は、つまり自分の才能にのみ頼ると言う事で、実は訓練で獲得した表現方法を使うよりも遥かにシビアなのです。
表現すると言う事はそんな甘い物ではありません。
自己満足で充分と言う人なら、まぁそれはそれで良しとしましょう。でも、何か演奏に対してこうありたいと言う目標があるなら、諦めてちゃんと基本的なテクニックは磨くべきです。