懐かしの現代曲…矛盾したタイトルですが…
日本が戦争に負けて新しい時代が来た1950〜60年代は、箏の世界も
「新しい箏の音楽を作るのだっ!」
と言う気概に満ちた時代で、西洋のクラシック音楽から発展した「現代音楽」と積極的に結びついた時代でした。
今私達が当たり前に弾いている現代曲も、この時期の先生方が今に至る流れを作って下さったおかげです。
さて、最近取り組んでいるのが柴田南雄の「卯月の翠」。
いわゆる十二音階風の音楽で、右手で二拍三連をしながら左手で八分音符の裏打ちをする、手は二つしかないのに三つの旋律が書かれていてどうやって弾いたら良いか分からない…など、本当に難曲です。
それに、手書き楽譜なので「これは書き間違いじゃないかなぁ」と思われる箇所があったり…
悪戦苦闘しながら取組んでいて、ふと懐かしい感じにかられました。
そういえば私、20年くらい前は現代音楽の作曲家が書いた作品ばかりやっていました。
最近の中堅以下の作曲家は箏をかなり勉強して慣れ親しんでいるので、弾いてもさほど無理のない曲になっているし、調弦表まで付けてくれます。
しかし、私が20代前半に取組んだ作品の多くはそうではありませんでした。
まず楽譜(当然五線譜です)をもらったら、最初から最後まで目を通して最低音と最高音を探し出します。
大抵の作品は構成音が13個以上あり箏の弦の本数を越えるので、頻度の高い音を調べて仮の調弦を作ります。残りの音は押し手をしたり転調して対応します。
曲の最初から順に、オタマジャクシ一つ一つに弦の番号を振っていきますが、最初に考えた調弦では辻褄が合わなくなって来ることがあります。
その時はもう一度上手く行くように調弦を考え直します。
調弦が変わると弦に割り当てられてる音が変わるので、当然最初から振り直しになります。
時々ほぼ演奏不能に思われるところにも出会いますが、どうにか知恵を絞って、とにかくなんとか指定された音は出すよう工夫します。
そうやって、何日もかかって楽譜に弦の番号を振り、さらに練習しながら手直しする。
昔の曲はそんなだったのです。
最近の作品ではそんな苦労はほとんどなかったので、すっかり忘れていました!
大変だけど、何だか懐かしい!
日本が戦争に負けて新しい時代が来た1950〜60年代は、箏の世界も
「新しい箏の音楽を作るのだっ!」
と言う気概に満ちた時代で、西洋のクラシック音楽から発展した「現代音楽」と積極的に結びついた時代でした。
今私達が当たり前に弾いている現代曲も、この時期の先生方が今に至る流れを作って下さったおかげです。
さて、最近取り組んでいるのが柴田南雄の「卯月の翠」。
いわゆる十二音階風の音楽で、右手で二拍三連をしながら左手で八分音符の裏打ちをする、手は二つしかないのに三つの旋律が書かれていてどうやって弾いたら良いか分からない…など、本当に難曲です。
それに、手書き楽譜なので「これは書き間違いじゃないかなぁ」と思われる箇所があったり…
悪戦苦闘しながら取組んでいて、ふと懐かしい感じにかられました。
そういえば私、20年くらい前は現代音楽の作曲家が書いた作品ばかりやっていました。
最近の中堅以下の作曲家は箏をかなり勉強して慣れ親しんでいるので、弾いてもさほど無理のない曲になっているし、調弦表まで付けてくれます。
しかし、私が20代前半に取組んだ作品の多くはそうではありませんでした。
まず楽譜(当然五線譜です)をもらったら、最初から最後まで目を通して最低音と最高音を探し出します。
大抵の作品は構成音が13個以上あり箏の弦の本数を越えるので、頻度の高い音を調べて仮の調弦を作ります。残りの音は押し手をしたり転調して対応します。
曲の最初から順に、オタマジャクシ一つ一つに弦の番号を振っていきますが、最初に考えた調弦では辻褄が合わなくなって来ることがあります。
その時はもう一度上手く行くように調弦を考え直します。
調弦が変わると弦に割り当てられてる音が変わるので、当然最初から振り直しになります。
時々ほぼ演奏不能に思われるところにも出会いますが、どうにか知恵を絞って、とにかくなんとか指定された音は出すよう工夫します。
そうやって、何日もかかって楽譜に弦の番号を振り、さらに練習しながら手直しする。
昔の曲はそんなだったのです。
最近の作品ではそんな苦労はほとんどなかったので、すっかり忘れていました!
大変だけど、何だか懐かしい!