ゆうこのゆるゆる通信

おとぼけ天然キャラ(*^_^*)箏奏者・福田優子の周りで起こる、日々諸々のこと

2015年08月

藤本昭子地歌ライブ第75回記念公演

先日は藤本昭子さん(つい最近までは藤井昭子さん)の地歌ライブに行ってまいりました。

藤本さんは九州系地歌の素晴らしい演奏家です。
2001年から年に数回のペースで地歌ライブをやっていて、今回はなんと75回目。

[地歌に詳しくない方へ補足]
地歌は、江戸時代に、主に名古屋・関西以西で発展した三味線音楽です。
箏は江戸時代中期頃から独自の発展が一時止まり、地歌の伴奏楽器として発展していきました。そのため、箏曲のレパートリーのかなりの部分を地歌が占め、地歌の演奏家は箏も弾きますし、箏の演奏家は地歌の三絃(お三味線のことです)も勉強することになっています。

藤本さんの地歌ライブは、勉強のためにいつか行こうと思いつつも年に4回もあるのに安心し、気が付けば初回から十数年経過。これはいけないと慌てて予約を入れました。

演奏会の日が8月15日だったので、プログラムは秋に因んだ追善の曲でした。
「筆の跡」
「萩の露」
「さむしろ」
「残月」
最初の端歌物「筆の跡」は藤本さんお一人で弾き歌い。
二曲目の「萩の露」からは三曲合奏でした。
なかでも印象に残ったのは「さむしろ」で、助演は
箏、岡村慎太郎さん
尺八、藤原道山さん
でした。

自分が習った時は、転調は多いし暗いし、なんだか変わった曲調の変な曲だなぁと思っていました。
今回初めて演奏をしているのを聞きましたが、落ち着いた雰囲気の素敵な曲でした。
自分で弾くのと、他人が弾いているのを聞くのでは、印象に大きな違いが出るのですね。
また、お稽古でやったのは20年も前の学生時代でしたから、耳も出来てなくて変な曲に聞こえたのかもしれません。

そして何と言っても印象的だったのは、岡村慎太郎さんが絹糸を張った箏を使っていた事です。
最初は、今まで聞いた事のある三曲合奏と違い、箏が三絃にすっと寄り添い、音色が馴染んでとても自然なのを不思議に思っていました。

演奏後に藤本さんが、実は箏は絹糸を張っていたと解説され、納得がいきました。

「最初に言っておけば良かったですね」
と藤本さんは仰っていましたが、いえいえ!
先入観なく聞いた分だけ、余計に絹糸の素晴らしさが分かりました。

今まで三曲合奏の何となく引っかかる部分はこれだったのか!と納得です。
テトロン弦の独特の金属的とも言える強い響きが、三曲合奏では三絃のサワリの響きと被り、競合していたんですね。

絹糸は本番中に弦が切れるリスクが高く、最近では古曲でも敬遠されていますが、こんなに違うならリスクを取っても絹糸を使うべきだと思いました。

さて藤本さんは、地歌を広めたいと2001年から年4回、ずっと「地歌ライブ」を続けていらっしゃいます。
企画制作からチケット作成・販売、楽屋の張り紙、全てご自分でなさっているようです。
プログラムの後ろには英語の解説もあり、なんとか地歌を広めたいと言う「本気」を感じました。
年4回も自分で企画し本番にかけるなんて、すでに決まった手順で習慣化しているとしても大変な事です。

藤本さん、素晴らしいです!
惚れました!!

帯揚げを綺麗に見せる

着物の帯揚げは、結目が帯からはみ出したり、小さく皺がよったりして、綺麗に結ぶのが意外に難しいです。  

私、実は帯揚げは結んでいません。もう長いこと結んだふりで済ませています。

「結んだふり」がどういう事かと言うと…
まず、帯揚げを帯枕に引っ掛けて余り分を体の前に持ってきたら、四つ折り(絞なら三つ折り)にして整えます。 片手でスマホを持って撮ったので斜めになってますが、こんな感じ。
帯揚げを帯枕に固定して結ぶ人も要領は変わりません。

左右共に、綺麗に四つ折り(または三つ折り)に整えたら、中央で左手側が上になるように交差させ、十字に絡げます。
こんな感じ。
キュッと引っ張って大丈夫です。どうせ緩んできますので。
上に来てる方は「なんちゃって結び目」になります。
下に来ている方は帯揚げの右手側の折目の中に挟み込みます。
ただいま挟み込み中。見辛くてすみません。
こうすると、帯揚げがフワッと膨らんで綺麗に見えます。長かったら全部詰め込む必要はありません。

さて帯揚げの左手側。
何も入れていないので膨らんだ右手側と比べてバランスが悪いですね。
でも大丈夫。帯枕を付けた時のガーゼがあります。
これ↓
市販の帯枕は紐が付いている事が多いですが、その上から30cm×130cm程度のガーゼで包み、紐代わりにしています。この方が枕が安定してしっかりと背中に止まるのでオススメ。

この余ったガーゼを帯揚げの左手側の折目に入れて行きます。
ガーゼを使っていない人はティッシュなど詰物をしても効果があります。
最後に上に来ている帯揚げを結目に見えるように帯の中に挟み込んで整えれば完成。
この帯揚げは長いので、気が向いたらガーゼと一緒に先端を帯揚げの左手側に挟んだりしています。

そんな感じで…
はい!一丁上がり!!

Eテレ「むちむち!」むしろディレクターに愛の鞭を

昨日帰宅後、なんとなくテレビをつけていたら、Eテレでとんでもない番組が始まりました。

その名も
「むちむち!」

番組公式ツイッターの
「街でスカウトしたちょっとムチな女子高校生に、番組ディレクターが愛のムチを打つ、全体的にムチッとした番組です」
という投稿が物議を醸しているそうですが、当然のことでしょう。

私が見たのは再放送だったようで、実際に初回が放送されたのは20日の19:25だったようです。こんなものが夜19時台に放送されるなんて恐ろしい。

番組の内容は前編と後編に分かれていたようで、私が見たのは前編です。
沖縄の基地問題について全く知識を持ち合わせず、「普天間」という言葉すら知らない女子高生二人を沖縄に連れて行き、普天間基地の現実を知らせ、最後は沖縄戦で亡くなった戦没者の遺骨を拾う現場に行くという内容でした。

番組冒頭では、「JA」や「PKO」などの単語の意味を知っているか街頭で女子高生達にインタビューする場面が出てきます。
どの子も見事な頓珍漢ぶりですが、どのぐらいの人数に聞いて正答率はどのぐらいだったか、という情報は一切ありません。
本当は200人に聞いて190人が正答したかもしれませんが、編集してしまえばそんなことは分かりません。
ものすごい珍答ぶりだったので、どこかの芸能事務所から女優志望の子をわざわざ頼んだのかもしれません。

その前になぜ女子高生なのでしょう?
様々な理由で政治問題や社会問題に関する知識が皆無の人は、男女を問わずどの世代にも一定の割合いるはずです。
巣鴨で高齢者にインタビューしても、500人ぐらいを対象にすれば珍答をする人は必ずいると思います。
ただ、長く生きるほど知識が偶然入ってくる可能性は高いので、政治・社会問題に興味のない人だけを対象とした場合、この手の質問は若いほど不利です。

それなのに!
世代としては十代を、性別としては女性を選ぶのはなぜでしょう?
街頭インタビューの後は、沖縄に行くことになった女子高生がどういう人物か紹介されます。
都内の美容学校に通っているそうで…
あら?高校生ではなく専門学校生?
まぁ身分はどうでもいいのですが、一部屋に揃いの制服を着た女の子がたむろし、髪を整えたり化粧したりお喋りする風景からはこの映像を採用した人の

「渋谷・新宿辺りに出没する、お洒落しか頭にないような女子高生の頭の中はからっぽ」

という偏見が感じられます。

さて旅が始まります。
しかし、2人の旅を通して普天間基地がどのように土地を接収して作られたかも、現在住民がどのような不安を抱えているのかも、沖縄戦がどれだけ悲惨なものだったかも、情報としてはほとんど伝わりません。

米軍基地のフェンスの前でボーっと立つ2人
普天間基地を見渡せる場所に立ち、土地の人の前で「これ、邪魔じゃありません?」と驚く2人
資料館に行って写真や記録映像を見て衝撃を受ける2人
遺骨収集の手伝いに参加する2人

しかし、予想外の展開と事実に呆然とする2人の反応が終始クローズアップされるだけで、具体的に何を見てそんな反応をしたのかははっきり分からないし、沖縄に関する解説も断片的で、視聴者が番組を通して沖縄に起こった事実を系統立てて知る事はほぼ不可能です。せっかく(?)予備知識のない2人を選んで連れて行ったのに、これでは意味がありません。

いったいこれは何の番組?
無知に思える2人が教育されていく様子を見て、中高年が溜飲を下げる番組ですか?
それとも、同世代の若者が自分より劣っていると感じられる存在にホッとしあざ笑うための番組ですか?

鞭打たれるべきはむしろディレクターと、この企画を承認したNHKじゃないでしょうか?





沢井箏曲院夏休みジュニア・ちびっ子コンサート

昨日は、毎年恒例の沢井箏曲院夏休みジュニア・ちびっ子コンサートでした。

私はお手伝いで参加。もう何年参加しているでしょう?
ほとんど趣味になっています。

大学に入るまでは自分が参加し、院を卒業し内弟子に入ってからはお手伝いとして参加しています。気付けばずっとお世話していた子供が結婚してお母さんになり、自分の子供を出演させるようになり、感慨深く思うと共に歳月の長さを感じます。
私…四半世紀関わっている(汗)

今年は基本的に個人の楽器で演奏し貸し箏はほとんどなかったため、調弦係ものんびりムードで、記念撮影時には保護者でもないのに一番良い場所で撮影をしてしまいました。
なかなか微笑ましい良い写真が撮れましたよ。

参加した子供達には比河流先生から各々にプレゼントが渡されるのが恒例になっています。
参加者最年少の2歳半の女の子は渡されても意味が分からずキョトンとしていました。プレゼントを片手にしばらく他のお姉さん達が御礼を言っている様子をじーっと見ていましたが、やおら
「ありがとね」
と大声を出したので一同爆笑。
お母さん(彼女もかつては子供コンサートに出ていました)は
「比河流先生にタメ口…」
と恐縮していました。
なんとも微笑ましい雰囲気です。

今年はこのままのんびりムードで子供達の演奏を聞けるかなと思っていましたが、始まってみれば結局はほとんどの時間を調弦していました。
偶然会場に入った時は6歳の女の子が「福寿草」を大きな声でしっかり歌いながら演奏していました。これが、前半で唯一聞けた曲です。
ああそれにしても可愛い!小さな子供が無心に弾いている姿は本当に愛らしいです。

全22曲中最後の3曲は、高校生3人がそれぞれ
「手事」
「三つの断章」
「讃歌」
と大曲を順番に演奏し、これは会場で聞く事ができました。
年齢も近く、実力の拮抗した3人です。そこそこ大人になり、小学生のように無心には弾けません。
まぁ、色々あるわね。

思い返せば私が高校生の時は、プレッシャーのあまり二年連続暗譜が飛ぶという事件がありました。

高校二年生で杵屋正邦の「綺羅」を弾いた時は最初の一音で暗譜が飛び、どうしても出てきませんでした。しかたなく楽譜を見て演奏。しかし、普段暗譜で弾いている曲は急に楽譜を見ても弾けないものなのです。散々な演奏になりました。

高校三年生の時は「讃歌」を弾き、最後の最後で暗譜が飛び、結局楽譜を取りに行きました。

この頃から自分の演奏が子供だから評価されている事に気付きはじめ、「すごいわね」と褒められる度に、このまま大人の演奏に切り替えられなければ、私の賞味期限は切れてしまうと不安に思うようになりました。

不惑を過ぎれば、そんなに焦らないでもいつか自然に大人の演奏に変われると長い目で見られますが、10代では時間の感覚が今と全然違います。もう私は終わったと勝手に絶望したりしていました。
若者は人生経験と同じように気も短いですね。

面白い事に、演奏中それぞれの心持ちが垣間見えるような気がしました。
楽しい誇らしいだけではない複雑な心理状態の片鱗を感じ、これからどんな大人になって、どんな風に箏に向き合って行くんだろう?と言う事まで考えながら聞いておりました。

みんな本当にどんどん大人になる…
陰ながら応援しております。

本当に字幕通りの雰囲気で喋ってる?

ごくたまにEテレの「スーパープレゼンテーション」と言う番組を見ます。

「TEDカンファレンス」と言うプレゼンテーションのイベントの様子を、日本語字幕付きで紹介する番組です。

1回の放送で紹介するプレゼンテーションは1人か2人。
内容は多岐にわたり、その道の専門家が発表するのでなかなか面白いです。
しかし、ここで気になる事が一つ。

日本語の字幕がひどく砕けた口語体なのです。

大の大人が、不特定多数の前で発表する時に、
「で、〜」「けど、〜」と言う接続詞、
「〜とか、〜とか」という副助詞、
を使ったり
「〜したわけ。」と文を区切ったりしたら、普通は顰蹙を買います。

最初は、発表している人の表現をなるべく忠実に再現しているのかと思いました。しかし、いつも見る度に文体は同じで、それは、発表者が20代の青年だろうと60代の高齢者であろうと全く変わりません。

これは訳した人の日本語の問題でしょうか?
それとも、TEDでは皆、十代の若者が親しい友達と喋るような英語で発表しているのでしょうか?

なにせ英語が殆ど聞き取れないので、どのような印象を受ける英語で発表してるのか、全く分かりません。
本当に字幕通りの雰囲気で発表していたら、かなり驚きです。

あ、そうそう、そう批判しながら、私がつけたタイトルはかなり口語体ですね。
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