ゆうこのゆるゆる通信

おとぼけ天然キャラ(*^_^*)箏奏者・福田優子の周りで起こる、日々諸々のこと

2016年12月

今年も年が暮れ

皆様大変お世話になりました。
2016年もあっという間にお終い。
明日からは2017年です。

…と言っても今年は土日とお正月休みが重なって休みが短いせいか、どうも年末の感じがしません。

さて、私が近江楽堂で箏・笙・声の音色に浸っていた12月26日はフジテレビの「SMAP×SMAP」の最終回だったそうで。
そう言えばSMAPは12月31日付けで解散でしたね(まさか知らない人はいないと思いますが、一応、日本を代表する男性アイドルグループです。歳の頃は私と同じくらいです)。

内弟子時代にこの番組の「ビストロSMAP」という、ゲストのために創作料理を作るコーナーが好きで「美味しそう」「食べたいなぁ」と思いながら毎週見ていました。あとコントも結構好きでした。
が、特にファンではありませんでしたし、SNSの方は個性派アーティストや作曲家ばかりフォローしているせいか、全く話題に出なかったのですっかり忘れてました。
そのため、翌日沢井先生の事務局へ行ったら、そこで流れているラジオがずっとSMAPの話題に終始しているし、どこへ行ってもSMAPの話題ばかりで世の中の反応に驚いたのでした。

で、前述のようにファンではないのですが、思い出はあるのです。

高校2年生で仙台の高校に転校して驚いたのは「追っかけ」を趣味にしている人の多さでした。「追っかけ」と言う言葉も転校して知りました。
2学期になって教室の後ろの委員会ごとの掲示板に、とある書き込みが書かれました。厚生委員会とか保健委員会とか、委員の名前は忘れてしまいましたが、そんな感じの委員の署名で

「花王のマークを集めています。皆さんご協力下さい」

ベルマーク集めのようなものだと思い、なにか福祉の役に立つのだろうと皆シャンプーやら化粧品やらについた花王のマークを集めては委員に渡していました。

ある日、私は委員の1人に呼び止められました。
「福田さん今度いつ東京に行く?」

当時私は芸大受験のため毎月東京へレッスンに通っていました。
次に行く日を答えると
「これを東京で投函して欲しいんだけど」
と葉書の束を渡されました。

それはSMAPのコンサートの応募葉書!
そこに貼られていたのはなんとあの花王のマーク!

東京在住のファンクラブ会員向けのコンサートがあり、わざわざ東京の友達の住所を借り、委員会の名義で集めた花王マークを貼り、消印で怪しまれないよう東京で投函しよう、と言うことだったのです。

まぁ!なんて知能犯!

もちろん葉書は頼まれた通り東京で投函しましたよ。目黒区のポストへ都合2回くらい。
あまりに真剣で必死で、どうしても行きたいと言う熱意にほだされて協力しました。

こんな事が可能だったのは各クラスの委員のほとんどがSMAPの追っかけだったからです。
コンサートの募集要項が出た時期と委員の交代の時期が重なったので計画を立てて立候補したようです。
花王のマークの件については途中でだんだんみんなに真相が知れ渡ってきて一部の顰蹙を買っていましたが、騒ぎにもならず、責められる事もなく、それ以外はごく普通にきちんとお仕事をし任期を全うしていました。

この小さな事件がなかったら、SMAPに注目することもなかったし記憶にも残らなかったでしょう。

それにしても、仙台の高校は知恵(時に悪知恵)と工夫で人生を乗り切っていくバイタリティのあるタイプが多かったんだなぁ。

果月の瞬き

12月26日、箏奏者の今西玲子さんの企画したコンサート「果月の瞬き」に行ってきました。

初台の東京オペラシティの中に近江楽堂という小さなホールがあります。
四つ葉のクローバーがドーム状に立ち上がったような構造をしていて、礼拝堂のような神聖な雰囲気と不思議な響きを持ったホールです。公式サイトはこちら。写真をクリックすると他の写真も見られます。
平面プランはこんな感じです。
image
コンサートの情報を知った時、藤枝守先生の「植物文様」をこの神秘的な空間でやるなんて!絶対聞きに行かねば!と思いました。

オープニングは、演奏者がゆっくり歩きながら夫々声を発したり奏したりして始まりました。
十字形のホールに音が乱反射し、移動するにつれて音源とは反対のドームから音が聞こえてきたり、急に背後の壁から音が聞こえてきたりします。

笙は、立っている場所によっては、まるで光がプリズムを透して分解されるように音の成分が分離され、成分毎に違う動きをしました。
また、行川さをりさんの柔らかな声は顔の向きを少し変えるだけで響き方が変わりました。
移動しながら演奏した曲は、音響的な遊びも意識していたように思います。

久々に近江楽堂で聞きましたが、このホールは難しい!けれど面白い!!

最も楽しみにしていた藤枝先生の「植物文様第十一集 筝笙二重奏曲」。
昨年ライブハウスで聴いた時は、今まで分からなかったことがスッと飲み込めて大変な感動を感じながら聞きましたが、今回は落ち着いた冷静な気持ちで聞くことができました。

植物に電極を付けて、
データを取って、
MAXでプログラムして、

と言うと人工的で難しく感じますが、それは手段の話。
この曲では植物の囁きに耳を傾け、植物の宇宙に共振する感覚が大事なのだと思います。

今西さんの持っている世界観や演奏する時に創り出す空間は、「植物文様」のもつ世界とかなりリンクしていると思います。
「この曲のためにある人」とか「この人のためにある曲」とかありますが、ちょうどそんな感じで、同化とか融合・溶融と言う言葉が合うほど、お互いそのものになっていると感じました。
目を瞑ってたゆたう旋律を聞きながら、この曲を弾いて、直接自分の音で植物の世界を感じてみたいと強く思いました。同時に、すごく弾いてみたいけど、私には弾けないかもしれないなぁとも思いました。

後半の最後に演奏された今西さんの作品「秘色の雨」はこれも大変静かな曲で、私の大好きな曲です。
近江楽堂でこれを聞けて良かったと思ったのは、箏と笙の音色が完全に溶け合ったことです。
近江楽堂のドームの四隅は出入口になっていて、上に出っ張りがあります。溶け合った音はその出っ張りを止まり木のようにしてドームの中を飛び回るように響きました。
聴いている途中で「そうだ、これは龍と鳳凰の舞だ」と気付きました。
箏は龍になぞらえられますが、笙は鳳凰なのだそうです。

さて、私にとって音楽は常に真剣に対峙するもので、コンサートでは癒しを求めて聞いた事はありません(BGMでたまに音源をかけたりしますが、それは音楽を聞く行為の範疇には入れておりません)。
このコンサートも、一片の世界も見逃すまいと真剣に聞きましたが、終演して初台の駅に向かっている途中、ストレスやプレッシャーからくる体の緊張がすっかり取れてとても楽になっている事に気付きました。
まるで温泉から上がったような、マッサージ治療をしてもらった後のような感覚。
MCで今西さんが「皆さんリラックスされていると思いますが」と盛んに仰っていましたが、私はあまり意味を分かっていませんでした。

本当に音楽は色々です。
音楽に求めるものも思想も色々です。
ずっとほぼ同じ世界で同じ価値観で音楽をやってきましたから、こうやってビックリしながら色々な思想の音楽に出会えたらいいなと思います。

マリア様のお祈り

クリスチャンの家ではないのですが、仙台の実家近くに聖ドミニコ会女子修道院とその教会がありまして、小学校4年生くらいまで土曜学校に通っておりました。
友達と遊べてオヤツ付き。
修道女の先生がイエス様やマリア様のお話をしてくれたり、カトリックの伝統行事をしたりしましたが、私達は読み聞かせやママゴト感覚。
今は忘れてしまいましたがいくつかお祈りも覚えました。

さて先日、「○○せいちょうみちみてるマリア」と言う句を突然思い出しました。○○は、四文字の言葉が入っている筈だけど思い出せません。
試しに思い出した部分で検索をかけたら「天使祝詞(アヴェ・マリア)」と言うお祈りが出てきました。

めでたし、聖寵(せいちょう)充満てる(みちみてる)マリア、
主(しゅ)、御身(おんみ)とともにまします。
御身は女のうちにて祝(しゅく)せられ、
御胎内(ごたいない)の御子(おんこ)イエズスも祝せられ給う。
天主の御母(おんはは)聖マリア、
罪人(つみびと)なるわれらのために、
今も臨終の時も祈り給え。
アーメン

全文を読んで
「主、御身とともにまします。御身は女のうちに」
まではなんとなく思い出したので、このお祈りで合っていると思います。
私は子供の頃、意味は分からないもののこのマリア様のお祈りがとても気に入っていました。沢山の韻を踏んだリズミカルな調子が大好きだったのです。
ところが、調べてみて分かったったのですが、このお祈りは文語体で分かりにくいという事で20年程前に口語に改定され、数年前にさらに正確な訳に変わったようです。

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン

だいぶ雰囲気が違いますね。
マリア様に話しかけている感じです。
一方、最初に文語体で訳した人は、声に出す事を重視していたかもしれませんね。

カトリックには、ロザリオを手繰りながら「天使祝詞」を球の数だけ唱え続ける「ロザリオの祈り」と言うのがあります。
土曜学校で一度だけやった事があります。
教会に行って、立派なロザリオを修道女の先生が出してきて、皆んなでやりました。
ロザリオには数十個の球がついているので、何回も何回も気が遠くなるほど「天使祝詞」を唱えるのです。
新しい訳だとサ行やタ行など強い音が多いので、ずっと唱え続けるのは大変そうですね。

ん?唱えるって表現はおかしいかしら?
それは念仏?
そう言えば浄土真宗にも数珠回しと言う似たような(!?)行事がありましたね。

思考パターン

先日コンタクトレンズを購入しに眼科に行きました。
応対してくれたのは30前くらいの若い眼鏡士さん。
今回は今まで入れていた右目に加え、左目もお試しで入れる事になりました。
というのも、数年前まで左目は非常に良く見えていたのですが、いつの間にかジリジリと視力が低下してきて、ついにコンタクトレンズを使うかどうかギリギリのラインまできてしまったのです。

私は2week(2週間連続装用)タイプと1day(一日で使い捨てる)タイプの二種類を状況に応じて使い分けています。
右目は通常通り両方のタイプを購入しますが、左目はあくまでお試しなので、もし必要ないとなった時に出来るだけ損が出ないように、どちらか一方のタイプを選んで買わなければなりません。
さらに年末年始は眼科が長期間お休みになるので、お試しとは言え次回眼科に行ける日までにレンズが足りなくなると困ります。
1dayタイプは1箱に1ヶ月分、2weekタイプは1箱に3ヶ月分が入っています。
しかし単価は1dayタイプの方が2weekタイプの3倍ぐらい高いので一箱の値段はほぼ同じになり、判断に迷うところです。
ごちゃごちゃ書きましたが、要するにややこしいのです。

ところが、何の種類を幾つ購入するかについて、いくら眼鏡士さんと話しても一向に話が噛み合いませんでした。
結局彼がどんな組み合わせをお勧めしているのが良く分からないので
「すみませんが、紙に書いてもらえますか?」
とお願いしました。
しかし、紙に書いてもらった事もよく理解できませんでした。
図解してもらったら分かると思ったのに!!
分かったことは、
根本的に思考パターンが違うということ、
思考パターンが違うものを図に表してもやはり分からないということでした。

仕方がないので私も自分が欲しい物を表形式の一覧表にして書きました。
すると眼鏡士さんは私の言いたいことは理解してくれたのですが、やはり私の表では認識し辛いようで、確認は眼鏡士さんが自分で書いたメモを使っていました。

それを見て(分かってはいるつもりでしたが)何が自分にとって分かりやすいかは本当に人それぞれだと再認識したのでした。

ファミ箏第4回演奏会へ行ってきました

ゲーム音楽を和楽器で演奏するグループがあります。その名も

ファミ箏

公式サイトはこちらのようです。
「後輩達がなにやら面白そうな事をしているぞ?」と以前から気になっていたのですが、演奏会がなかったり予約したのにインフルエンザにかかったり、3年か4年越しでようやく演奏会を聞く事が出来ました。

ファミ箏第4回演奏会
日時:2016年12月17日 13:30開演
会場:トッパンホール

結論から言えば、非常に楽しかったです!!
どのゲームもやったことがなく一曲も知らなかったので開演前はやや不安でしたが、こんなに楽しめるとは思いませんでした。
最初から最後までゲームと邦楽への愛が溢れ出ていて気持ちが良かったです。

また、和楽器の編成やホールの音響についても勉強になりました。
会場のトッパンホールは室内楽向けの小規模なホールで楕円形をしています。
少人数編成のプログラム前半は、ステージ上方に拡散する音を聞いているようで、少し寂しく感じました。
編成に対してステージが大きすぎたのかもしれません。
天井に可動式の反響板はないようでしたので、見た目が許される程度に後ろに下がったらどうだったのだろう?と思いました。
壁を反響板として利用できたかもしれません。
一方後半は10人を超える編成だったので全く気になりませんでした。

意外だったのは三味線の音が通らなかった事です。撥の打撃音やサワリの方が目立ち、音高の動きは思ったほど目立ちませんでした。三味線と言えば大音量のイメージがありましたのでこれは意外でした。
これまで私が三弦で参加した曲はどうだったんだろうか?

それにしてもゲーム音楽はどの曲も良くできてますね。
「行き当たりバッタリ展開」感や「脈絡なくかっこいい部分をツギハギ」感がないので安心して聞けます。

編曲については、各楽器を中音域に集中させることで響きがスッキリとまとまっていたと思います。
数種類の和楽器を一斉に鳴らすと競合して打ち消しあう事がある(と私は思っている、そしてこれは西洋楽器にはない特性だとも思っている)のですが、箏パートはユニゾンや数パートで和音を分担して同じ動きをする場面が意外に多く、無理に全面に出すことなく効果的に使われていて、なるほどと感心しました。
原曲はもっと沢山のパートがあるでしょうから、愛着が強いほど編曲上の取捨選択は英断が必要だったと思います。

箏が自然と雅楽における楽箏と似たような役割をはたしているのが面白いと思いました。

演奏には文句はないのですが、転換中のお箏屋さんの動きに無駄が多くキビキビとしていないのが気になりました。
裏方と言えども観客に一定の印象や影響を与えるので、立ち居振る舞いに気を付けた方が良いです。
この演奏会に限らず以前からかなり気になっていたのですが、こう言うことはなかなか直接言い辛いものですよね。

さて、そんな訳で大変楽しかったので、次回の演奏会も期待しております。
今度はゲームをやって予習しようか?
よりマニアックに隙なく完璧にゲーム音楽を追求して欲しいです。

それにしても楽しそうだぞ!
羨ましいぞ!
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ゆうこ

福田優子箏(琴)教室
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