ゆうこのゆるゆる通信

おとぼけ天然キャラ(*^_^*)箏奏者・福田優子の周りで起こる、日々諸々のこと

2018年09月

いざ福岡へ!

一年ぶりのさくらこまち和楽団。
文化庁のプログラムで、今年も学校巡回公演に行ってまいります。
今年は九州地区です。
すでに和楽団の巡回公演は始まっているのですが、私は来週10月1日の公演から参加します。

本当は9月30日に福岡に入る予定でしたが、台風24号が接近中と言うことで、急遽今日(9/29)福岡入りする事になりました。
今朝は7:00に家を出て8:00発の新幹線で仙台へ。
2人レッスンをした後大急ぎで実家を出て仙台空港へ。
仙台空港を使ったのは幼稚園以来です。
JR仙台駅のホームに入線してきた「仙台空港アクセス線」はたったの2両編成だったので寂れた小さな飛行場を想像していたら、
豈図らんや、小さいながらも国際空港でした。
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ナメててごめんなさい。
でも福岡便は小型機なので、機内持込のつもりだったキャリーバッグは持ち込めず、もしもの時のために用意した小さな布袋が役に立ちました。

そして今搭乗待ち中。
16:20発の予定でしたが、遅延のため16:45に変更になりました。
搭乗口も変更になったり、独りで飛行機に乗るのは7・8年ぶりなんだけど、ハードル高いなぁ。

小箪笥

先日、母の実家が売却されました。
後継の伯母が亡くなってからは近くに住む伯母達が管理をしてくれていたのですが、その伯母達も高齢になったので売却と言う運びになったようです。
家具などを片付けなければならず、捨てるのはもったいないと、母は色々なものを仙台に持ち帰っていました。その1つ。
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母が子供の頃にはすでにあったそうなので、正真正銘のアンティークです。
1つなくなってしまいましたが徳利に蓋が付き、盃に茶托(この場合は酒托?)が付いていてとても可愛いです。

さて、そう言う流れで、私も小さい箪笥をもらいました。
木彫が趣味だった祖母が前面に彫刻を施したものです。
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引越しの多い私は実用一点張り。収納は解体可能なスチールラックと、そのままで引越し業者が運んでくれる収納ケースしか使わない派です。
ツッコミが入りそうなので説明すると、隣にチラッと映っているのは、大学入学時に寮で強制的に購入させられ、壊れていないので未だに使っている引出しです。
祖母の箪笥も最初はあまり欲しいとは思わなかったのですが、いざ引き取って置いてみたら、部屋の雰囲気がぐっと良くなりました。

大学の東洋美術史のU先生が、
「君達が将来母親になったら、古道具屋で買ったのでも良いから、ちゃんとした食器で食事をさせなさい。それが美意識を育てる。」
と仰っていた事がなんとなく思い出され、美しい物に囲まれて生活するって意外に大切な事なんだなと思いました。

この箪笥は一度仙台の実家に他の物と一緒に送られ、そこからヤマト便で我が家に来ました。
両親、渾身の梱包の跡。この他に1m×3m程のエアキャップとビニール袋一袋分のガムテープの山がありました。
開封作業が大変過ぎたので記念に一枚。
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今月のお着物

9月に入りました。
いつも行っている日本料理店の方は9月に入っても薄物で良いのですが、ホテルのお仕事は絽のままだと何か言われそうだし、エアコンが良く効いているので単衣に衣替えしてみました。
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今一つ合っていませんね。帯揚げを変えないといけないかしら?黒地の帯は何にでも合うかなと思ったのですが、銀糸がやや青みがかっているせいか、なかなか難しいです。
この帯は、6・9月にも締められる袋帯で西陣織だそうです(例によって叔母から回ってきたので良く分からない)。
先日、似たような帯を締めている人を駅で見かけて「おや?」と思い、今日演奏をしていたら、やはり似たような帯を締めているお客様がいらして、つい見てしまいました。
単衣の時期の定番の柄なんでしょうか?

そして秋草模様のこの単衣、元は袷でした。
学生時代、箏の演奏会で着た後の管理が悪くて裏地がカビてしまい、洗い張りをしました。
その時代金を節約する為に単衣にしたら、このところの温暖化で10月でも着られるので、かえって使いやすい1枚になりました。
季節と気温が合わなくて着ていない着物がまだあるので、そちらも単衣に直したいなー


「火の王誕生」感想

中学生の頃、浜たかやの「太陽の牙」を始めとするシリーズの何冊かを母が買ってきたので読みました。
このシリーズはジャンルとしては児童書に入ると思うのですが、
夏休みの読書感想文に選んだ「太陽の牙」以外はそれ程面白いと思わず、一度読んだだけで忘れていました。

それから幾星霜。
最近、母が同シリーズの「月の巫女」を点訳し始めました。この何ヶ月かパソコンの前に常に本が出してあり、何となく眺めたら、子供の時は平板に思えた物語の細部が見えてきて実に面白い。ちらちらと読み進めてとうとう全部読んでしまいました。

そこで、同じシリーズの「火の王誕生」も読んでみました。
「太陽の牙」でドルーグンがユルンの王になってから数代後の物語です。

様々な親子が出てきます。
一番目立つ親子関係は、何と言っても、自分の息子をなんとか一人前にしたいと必死になるあまり王の心身を支配する王母ダギリンと、本当は自分の世界を持っているのに、母の期待に応えられず自分を肯定できないカグウト王(まだ十四・五歳の男の子です!)の関係です。

中学生の時には読み取れなかっただろうと思う親子の関係は、イラーの大祭司タウクと息子ヌトリハン。
青年から壮年の入口にさしかかり地位も自信もあるヌトリハンには、父をも越えたような万能感があり、無意識に父を軽んじていたのではないかと思いました。
そう思ったのは、自分にも似た感覚がないわけでもないからですが。
2人ともステレオタイプとも言えるほどの悪役に描かれているのですが、その傲慢さの臭いを感じた点が新鮮でした。

それからもう一つ、今回読んで描写の見事さを感じた親子関係があります。
「やなぎの里」でユルーの大神に使えるガドブルイとその母です。
この親子の様子は実にひっそりと短く描かれています。
ガドブルイの母は物語の中では名前すら紹介されません。
本人を直接描写しているのは、ガドブルイが少し家の外に出るだけで不安がって呼び止める僅か10行のやり取り。ここでは家の中から呼び止めるので姿の描写はありません。
次に出てくるのは「やなぎの里」の「先祖むかえ」の儀式を見物する人々の一番後ろでガドブルイに背負われている姿を描いた2行。

でもこれで十分。この数行が効いていて、ガドブルイの性格や言動の背景に、老母の存在が常にチラつきます。
王母ダギリンとカグウト王、老母とガドブルイの関係は一対になっているのかと思うほど、老母の存在はガドブルイの行動をガッチリと支配し、最終的には予言の成就に一役買うのです。

特に「やなぎの里」の「先祖むかえ」の儀式でガドブルイに背負われて見物する老母の描写は実に見事です。それはホローシの目から見た描写です。

“目の見えない老母をおぶっていた。老母はふとっていた。ガドブルイは重そうだった”

なぜ老母はわざわざふとっていると描かれたのでしょう?
たったこれだけで全てを象徴してしまうんだなぁと、表現を味わう楽しさを改めて感じました。

変えられない境遇と言うものはあるし、努力の歯車が上手く噛み合わない事もあるし、それはどの登場人物も同じなのですが、ガドブルイにはその心根を育んだものも含めてなんとも悲哀を感じます。
これでを中学生が理解するのはちょっと無理でしたね。
むしろ大人が読んで味わい深い作品だと思います。
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ゆうこ

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