ゆうこのゆるゆる通信

おとぼけ天然キャラ(*^_^*)箏奏者・福田優子の周りで起こる、日々諸々のこと

2020年09月

音名と階名とソルフェージュ

音楽で使う用語に、「音名」と「階名」があります。

「音名」は、絶対的な音の高さです。
ざっくり言うと440Hz辺りから880Hz辺り(または220Hz辺り)までの1オクターブを12分割したものを基準に作られた、特定の周波数に対して付いた名前が「音名」です。

英米式なら
幹音(ピアノの白鍵)はA・B・C・D・E・F・G
派生音(ピアノの黒鍵)は#または♭を付ける

イタリア式なら
幹音はド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ
(イタリア式の派生音は名前が長ったらしいので省きます。)
と名付けられています。

この他には「いろは」で表した日本語の音名もありますし、クラシックならドイツ式の音名を使うことも多いです。
漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字・絵文字を使い分ける日本らしく、「音名」も状況に合わせていろいろな国の用語を使います。

一方、「階名」は音楽を構成している音を下から順に並べたもので、
長調ならド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シになります。
ピアノをいたずらした事のある方ならお気付きだと思いますが、黒鍵を利用すればピアノのどの鍵盤から始めてもドレミファソラシの音程関係を作れます。
ということで、七音階の音楽で使われる音の立ち位置を示したものが「階名」です。

さて、中学校や高校の音楽の時間に楽理を勉強すると、「音名」をドイツ式または英米式で、「階名」をイタリア式で学習します。
しかしここで疑問があります。日本ではソルフェージュは習慣的にイタリア音名で歌うのです。
例えばGから始まる長調の音高を英米式音名で表すと

G・A・B・C・D・E・F#

これを階名で歌うとすると
Gが「ド」になります。しかし、実際にソルフェージュを歌う時は「C」が「ド」で「G」は「ソ」になります。つまり、事実上イタリア式音名を採用している事になります。

これで何が困るかと言うと、ハ長調・イ短調以外の調でうっかり階名で言うと、相手が音高だと思って話が食い違う時があるのです。そのため、音高を言う時は英米名またはドイツ音名を使うようにし、イタリア音名を使う場合は音名として使っているか階名として使っているかを予めはっきり言うようにしています。

音楽教育においては古くから現代に至るまで「固定ド」で教えるか「移動ド」で教えるかと言う論争が続いています。
素人には全く不毛な論争に思えますが、どうせなら、教科書の通りに「『固定C』か『移動ド』か」論争にして欲しいです。

きこえるかしら…錯聴

最近、日曜23時からNHKで、カナダのテレビドラマ「アンという名の少女」が放送されています。
「赤毛のアン」と言えば高畑勲が監督したアニメが有名で、私のイメージにも多分に影響を与えているのですが、このドラマを製作した人達は日本のアニメに影響を受けているのかと疑うほど、登場人物がアニメ版のイメージにそっくりです。マリラもリンド夫人も、見た瞬間に何も言わないでもこの人が誰と分かるほどです。アンの痩せっぽちぶりも私のイメージ通りです。

さて、このドラマのおかげで久々にアニメの「赤毛のアン」のことを思い出しました。私は最初のオープニングで、疾走する馬車の映像と共に流れる主題曲が大好きでした。

コロコロと流れる小川のようなピアノの旋律、
華麗なバイオリンの響き、
そして盛り上がる管楽器の壮大な響き、
放送は幼稚園の頃でしたが、今でもよく覚えています。

何でも動画で上がっている時代ですから、あるだろうと検索したらありました。
https://youtu.be/j0-BK4DwTKc
驚いたのなんの!
作曲はあの三善晃でした!!
そんな大御所がアニメの主題曲を書いたんだ!
改めて聞くと、一分の隙もない見事なオーケストレーションで、さすがとしか言いようがありません。
40年経っても覚えている理由が納得いきます!

でも、記憶しているものと映像が違うのでさらに探したところ、ニコ動でこんな動画を見つけました(動画を再生すると広告が入ってしまいますが、5秒のご辛抱を)。
https://nico.ms/sm27932954
こちらは、一人乗りの馬車のシルエットから始まり、森の中を抜けていく場面はおおむね記憶のとおりです。でも、音楽は弦楽器より管楽器が強く、馬の蹄の音をイメージしたような打楽器の音が聞こえ、まったく雰囲気が違います。あれ?アレンジが違う?

さて、皆様はお気づきだと思いますが、私、なんと全く違う曲を混同し、同じ曲だと思っていました。
YouTubeの方はエンディングテーマの「さめないゆめ」
ニコニコ動画の方はオープニングテーマの「きこえるかしら」
どちらも三善晃の作曲です。どちらも素晴らしい曲です。

実は私は、オープニングとエンディングの2曲あったことをすっかり忘れており、さらにエンディングテーマをオープニングテーマだと思い込んでいました。そして、ニコニコ動画の「きこえるかしら」の映像が記憶と一致していたため、全く違う曲なのに「さめないゆめ」のアレンジ版だと思っていました。
約一日ほど…
いくら思い込みとは言え、これは酷くありませんか?

「きこえるかしら」

というタイトルが実に耳に痛い。
すみません、全く聴こえていませんでした。
そして、思い込みの怖さと記憶のいい加減さを感じたのでした。

こういうことがあると、自信がなくなりますね。



映画をまた見るようになる

最近、映画を見るようになりました。と言っても映画館に行くのではなく、パソコンで見ています。
元はと言えば「Amazon primeの会費の元を取りたい!」と言うケチな理由で外国語のヒアリングも兼ねて見始めました。
映画は興味ない方で、もしかするとこの20年ほど映画館に行っていないかもしれません。
実家に帰った時に「映画を見に行こう」と誘われても「面倒臭い」と思ってしまう方です。
が、よく見ると、映画ってとても作り込まれているんですね。おバカ全開の下らないコメディ映画ですら、良く考えられているなぁと感心します。
当然ですが作品によって魅せ方が全然違うので面白いです。

子供の頃は毎週末にテレビで放送している映画を見るのが大好きでした。でもその時はストーリーを楽しむだけで演出的なことには全く気が付きませんでした。

あらぁ…映画、楽しいじゃない!

そもそも映画が苦手な理由は、視覚と聴覚の情報を同時に処理しないといけないので見終わった後疲れてしまうのと、集中し過ぎて微熱を出してしまうからでした。
ネットで1人で見る分には、疲れたら止めれば良いし、残りを次の日に回す事も可能なので、自分のペースで見られます。
あまり面白いと一気に見てしまいますが、モニタ脇に布団を敷いて見ているので、すぐに横になって休めます。
これは癖になりそうだ。

私が子供の頃、金曜ロードショーの最後に丸顔のおじさんが必ず
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね〜」
と言っていました。

そうですね。ハマらないように気をつけながら楽しみます。

フランスの小学校:休み時間、そして延長交渉

さて1985年頃のフランス小学校の様子について書いてきましたが、今回で一応一区切りにしようと思います。
今回は休み時間について。

私の通った小学校には日本でいうところの校庭がありませんでした。校舎の前に遊べるスペースがあるにはあったのですが、アスファルトで舗装された、バスケットコートが2つ3つ入るくらいのそれほど広くない長方形の空間で、遊具は一切なく、日本の小学校の校庭とはおよそかけ離れたものでした。

休み時間になると先生は生徒を全員外に出して教室に鍵をかけます。
生徒は校舎前のアスファルトで舗装されたスペースで遊びまくります。当時はゲーム機が出始める直前だったので、伝統的な遊びが多かったです。主な遊びは
・かごめかごめ方式の遊び
・手遊び歌
・ゴム跳び
・ケンケンパ
・鬼ごっこ

概してフランスの遊びは単純に感じました。4年生と2年生では興味ややれる事にかなり差があるので、その影響もあるかもしれません。

かごめかごめ方式の遊びは一種類のみでした。

手遊び歌は一種類だけ最後に体を回転させるのがあり、それはすごいと思いましたが手の振り自体はどれも単純でした。そこでアルプス一万尺を弟とやってみせたところ、手の動きが複雑なせいかかなり喜ばれました。

ゴム跳びも当時仙台の小学校で流行っていた「ティンクルチョコレート」と言う、ステップが複雑で踊りに近いものを紹介しましたが、こちらはアルプス一万尺よりはウケませんでした。

ケンケンパは日本では遊ばなかったのでフランス方式のみで遊びました。二種類あり、一つは
blue branc rouge (青、白、赤)
と唱えながらケンケンパと踏んでいく非常に単純なものでした。
もう一つは曜日を唱えながら踏んでいくもので、私はこれで曜日を正確に覚えました。今でも月曜日から順に言うと、水曜で一息つき(ここが両足で踏むところになる)、土曜と日曜は一気にやや節をつけて言ってしまいます。全く自覚はありませんでしたが、要するに童歌を歌っているわけですから、大学の授業の時にこれをやっていないと良いのですが…

鬼ごっこは高鬼がありました。ルールは日本とほとんど同じでした。

ところで、先生方は休み時間に何をしていたかと言うと、どこからともなくコーヒーを持ってきて子供達を監視しながら先生方同士でお喋りをしていました。
日本よりも先生と生徒との立場の違いが明確で権威があり、一緒に遊んでくれる事はありませんでした。
しかし体を動かす事がないので、今思うと冬などは寒くて大変だったのではないかと思います。

滅多になかったのでほとんど記憶していませんが、雨などで外に出られない時は1階のエントランスで過ごしていたと思います。
とにかく休み時間は教室に入れませんでした。

休み時間が終わると、生徒達が一斉に五本の指を広げて手を上げ、先生に向かって

「5 minutes ! 5 minutes !」

と連呼する事がよくありました。毎回ではなく、何となく遊びが盛り上がっていて終わりたくない時にやっていた気がします。

先生が生徒と同じ仕草をするとOKで、休み時間は延長です。多分10分以上は延長になったと思います。

先生が延長休みの終わりを宣告すると、再び延長を請求した事が多かったと思います。大体は却下されますがたまにOKになる事もありました。
また逆に最初から先生の許可が全く下りない事もありました。
その辺りは先生の気分次第だったのでしょうか?
一度、請求する度にOKが出て、上の学年から下の学年まで大興奮だった事がありました。

ちなみに、5 minutes は5分と言う意味ですが、最近「Taxi 2」と言う映画を見ていて、物理的な時間の長さを意味する以外に、日本語の「一寸(ちょっと)」と似たような表現かもしれないと思い至りました。
私は文字通り5分延長のつもりでしたが、他の子は
「あと少し!あと少し!」
のつもりで叫んでいたかもしれません。

休み時間が本当に終わると、校舎の一階エントランスにクラスごとに並びます。並び順は決まっていません。ガヤガヤとお喋りしながら縦一列にまとまっていると思って下さい。

実は
「CE1 マダム・サントン・ドゥーニーズ」
「CP CE1 マダム・ボー・マリークロード」
と担任の名前が連呼されていた記憶があるのですが、これが普段の休み時間の後に連呼されたのか、林間学校の時に同行したお兄さんお姉さんがクラス毎に集合させるために連呼していたのか覚えていません。
しかし、他のクラスの先生のフルネームを覚えたのは、クラス毎の集合の機会だったのは確かです。
自分で敬称を付けるのは変なので、林間学校の時だけだったのか…

先生が「Allez vas y」と言うと教室に移動しました。

さて、子供が集団で意思表示すると言うと、仙台の小学校では先生が子供達にとってあまり嬉しくない事を知らせた時(例えば宿題が増えるなど)、一斉に
「えー!」
と叫ぶ習慣がありました。
仙台の小学校の校舎はロの字形をしていて声が壁によく反響したので、時々隣や他の階からも
「えー!」
と言う声が響いてくるのが聞こえていました。
抗議して覆そうと言うほどの意思はないので、叫んでも何も変わりません。もしかすると単純に当時始まったフジテレビの「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」の影響かもしれません(コーナーが終了しそうになると観覧者が一斉に「えー!」と声を上げるのが恒例になっていました)。

日本国内でも仙台と千葉の小学校とでは休み時間の取り方が違ったので、フランスでも色々違いがあると思いますが、私のいた学校は一回の休み時間が長くて満足するまで遊べたのが良かったです。

さて、数回に渡ってフランスの小学校の様子を書いてみましたが、改めてかなり忘れている事に驚きました。記憶違いも多いと思います。20年前にこれを思いついて記録しておけば良かったと悔やまれます。

日常生活の記録は、当たり前過ぎて案外残らないものです。覚えているうちに日本の小学校や中学校の様子も書き残しておいた方が良いかもしれません。

フランスの小学校:大胆な体育、がっかりな図画

前回に続き、1985年頃のフランスの小学校の様子を書きます。今回は主要科目以外の教科を書きたいと思います。
と言っても、覚えているのは2教科しかありません。
体育と図画に相当する科目です。音楽の授業らしきものはありませんでした。

【体育】
体育で印象に残っているのは水泳です。水泳の授業はバスで市の中心部に行き、市営の屋内プールで受けました。通年の授業だったように思います。
転校して早々、プールの授業があるという事でカルフールに行き、日本のスクール水着をイメージして紺の水着を買いました。
が、いざ授業になり着替えてビックリ!
他のみんなは、海水浴で遊ぶ時に使うようなカラフルな水着だったのです。
8歳児で胸がないのにビキニの子も複数いました。
あれは今でも不思議なのですが、つるんとした寸胴体型なのに、ちゃんと止まっているものなんでしょうか?
水に入る格好なら何でも良かったようです。

水泳の授業では担任の先生は教えず、市営プール所属の指導員が付いていました。
プールは2種類あり、初めての授業ではまずは浅い方のプールに入りました。水深60cmくらいだったでしょうか。一番深いところでも腰まであったか微妙で、日本の学校に比べると非常に浅いプールでした。
まもなくすると私が泳げる事が分かり、隣のプールに入る事になりました。そちらの水深はなんと2mでした。当時私はフランス人の10歳児と比べても背の高い方で140cmくらいありましたが、2mだと全く足が付かないので、入ると常に立ち泳ぎするかプールサイドに掴まっていないといけません。
水泳の授業は2クラス合同で、2mのプールに入ったのは10人弱。それに対し指導員は2人くらいいたと記憶しているので、何かあっても目が行き届いたのでしょう。
それにしても差が極端で、やる事が大胆です。

その他に、校舎に隣接する市の体育館での授業もありました。体育館内部の様子の記憶はあるのですが、授業内容は全く記憶にありません。
水泳の授業にしてもビート板があった覚えはあるのですが、クロールや平泳など技術的な事を教わった記憶がなく、体育館での授業の内容も全く記憶にないので、体を動かす事が主たる目的で、日本の小学校のようにストイックに何でもこなせるよう訓練しなかったかもしれません。

【図画】
図画に相当する授業もありました。毎週あったわけではないような気もします。
先生がお手本の絵を黒板に貼り、生徒はそれを模写しマジックで彩色する方式でした。
日本の小学校では
「遠足に行った時に印象に残ったものを描きなさい」
など、テーマを与えられて自由に描くことが出来ました。そのため、描く内容が最初から決まっているのはつまらなく感じました。
お手本の絵は、当時女の子に人気のあったメランコリックなピエロのイラストが多かったように思います。

マジックでは絵の具のように繊細な色合いが出せません。そのため、夕闇を背景にピエロが立っている絵の時は、夕闇の紺から赤紫までのグラデーションを表現するために、マジックの色が重ならないよう細心の注意を払い(重なると黒っぽくなるので)、青、紫、ピンクなど青味を含んだ複数の色を斜線で塗り、色の境界線がはっきり出ないように少しずつ配分を変えていきました。原理的には印象派がやった事に近いでしょうか。私はジョルジュ・スーラほどの根気はなく、線描で表現しましたが、自分でもなかなか上手くできたと思います。
周りの子は背景のグラデーションを段に分けて塗っていたため、なんとかグラデーションを実現した私の絵はびっくりされてちょっとした騒ぎになりました。これは流石に先生もびっくりしていたと記憶しています。

算数が得意で、水泳が上手で、絵が上手い!
日本の小学生はすごいですね(笑)
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