身内のことで恐縮ですが、私の母は趣味で女声合唱団に入っています。
途中で名前や指導者が変わったりしましたが、私が小学校の頃から同じ団にいるので合唱歴はン十年。
いわゆるママさんコーラスなのですが、今やママとは言えない平均年齢です。
先日実家に帰った際、最近の演奏会の録音を聞かせてもらいました。
ピッチが下がってしまったり声質がバラバラになったり、テクニックには時々破綻があるのですが、歌に妙に人を引き込む力があります。
特に、新川和江の詩をテキストにした「果実の歌」は、「母であり娘である自分の思い」を語った内容だけに、ものすごくリアルな印象を受け、自分の中で色々な思いが喚起されて泣けてしまいました。
もちろん私は、団員の多くが母親としての経験を経て今に至っていることを知っているのでそう感じてしまう部分はあります。
でも、昨年この曲を福山で歌う機会があった際には、それを聞いて大泣きした人がいたそうで、私の予備知識を差し引いてもかなり説得力のある合唱なのは間違いないと思います。
母によると、この曲を完成させる課程で、詩の表現するところ、意図するところについて指揮者も含めて団員同士で話し合い考える機会が多かったとか。
おそらくその課程で共通認識が生まれたのでしょう。
そのためにこの曲は強力な説得力を持ち得たのだと思います。
音楽の不思議なところは、人を魅了し伝わる音楽と、テクニックの完成度とは必ずしも関係はない点です。
もちろん音楽を受け取ることに集中するためには最低限のテクニックは必要ですが、
テクニックのない伝えたいことのある音楽、
と
テクニックの素晴らしい伝えたいことのない音楽
では、
私は圧倒的に前者の方を好みます。
後者の音楽は、圧縮袋に入れられて真空パックにされるような苦しさを感じてしまうのです。
明らかにバイト感覚で演奏しているプロのオーケストラの演奏にがっかりしたり、破綻はありながらも曲の内容に踏み込んだ素人の合唱に感動したりしていると、演奏家って何なのだろうと考えてしまいます。
途中で名前や指導者が変わったりしましたが、私が小学校の頃から同じ団にいるので合唱歴はン十年。
いわゆるママさんコーラスなのですが、今やママとは言えない平均年齢です。
先日実家に帰った際、最近の演奏会の録音を聞かせてもらいました。
ピッチが下がってしまったり声質がバラバラになったり、テクニックには時々破綻があるのですが、歌に妙に人を引き込む力があります。
特に、新川和江の詩をテキストにした「果実の歌」は、「母であり娘である自分の思い」を語った内容だけに、ものすごくリアルな印象を受け、自分の中で色々な思いが喚起されて泣けてしまいました。
もちろん私は、団員の多くが母親としての経験を経て今に至っていることを知っているのでそう感じてしまう部分はあります。
でも、昨年この曲を福山で歌う機会があった際には、それを聞いて大泣きした人がいたそうで、私の予備知識を差し引いてもかなり説得力のある合唱なのは間違いないと思います。
母によると、この曲を完成させる課程で、詩の表現するところ、意図するところについて指揮者も含めて団員同士で話し合い考える機会が多かったとか。
おそらくその課程で共通認識が生まれたのでしょう。
そのためにこの曲は強力な説得力を持ち得たのだと思います。
音楽の不思議なところは、人を魅了し伝わる音楽と、テクニックの完成度とは必ずしも関係はない点です。
もちろん音楽を受け取ることに集中するためには最低限のテクニックは必要ですが、
テクニックのない伝えたいことのある音楽、
と
テクニックの素晴らしい伝えたいことのない音楽
では、
私は圧倒的に前者の方を好みます。
後者の音楽は、圧縮袋に入れられて真空パックにされるような苦しさを感じてしまうのです。
明らかにバイト感覚で演奏しているプロのオーケストラの演奏にがっかりしたり、破綻はありながらも曲の内容に踏み込んだ素人の合唱に感動したりしていると、演奏家って何なのだろうと考えてしまいます。