ゆうこのゆるゆる通信

おとぼけ天然キャラ(*^_^*)箏奏者・福田優子の周りで起こる、日々諸々のこと

音楽

絶対音感

お箏を弾かない人の前で調弦を取っていると 「絶対音感ですか?」 と聞かれることがよくあります。
初心者に調弦を教えようとすると、 「絶対音感がないので…」 と言う人もたまに見かけます。
ある種の信仰になっているようですね。

絶対音感…ある特定の高さの音を音名で認識する能力です。
世間一般、特にメディアにおいては、 精度に関係なく特定の音を聞いて「ド」とか「レ」とか当てられれば 「絶対音感」があると見なすのが現状のようです。

私は全くありません。
使うのは音と音の音程関係を把握する「相対音感」です。
例えば私の場合、ニュースのジングルの出だしの音は、 その前にしゃべっているアナウンサーの声の高さを基準に予想し、口ずさむことはできるけど、 その音が「ド」なのか「レ」なのか分からないし、 アナウンサーが喋らなかったり別の人だと、基準がなくなるので口ずさむこともできません。
「絶対音感」がある人は、自分の中にある基準により、音名も含めて当てられます。
という違いになりますかね。
私は実際の演奏では100%相対音感を使うので、困ったことは一度もありません。
一方、周りを見ていると、訓練で身に付いた「絶対音感」の精度が低いことが少なくありません。
私たちは演奏や調弦で5cent(平均律の単位を使うのもなんですが)も差があれば、音がずれていると感じます。
「絶対音感」を持っている人の多くは一音の幅が広く、±約30centという人もざらです。
これらの人が箏を習い始めると、最初は自分の持っている音感を頼りに調弦をとろうとするので、 近似値にはなるけれど、音階の流れやハーモニーとしては相当悲惨なことになります。
中には自分の持っている音感が障害になるのか、相対音感を使いこなせないのか、 いつまでたっても調弦の精度が低い人もいて、その様子を見ていると、 「絶対音感」てなんの役に立つのだろうと疑問に感じます。
すべての音を正確に把握する、精度の高い絶対音感の持ち主もいますが、 クラシックの古楽やアジアの民族音楽のようにピッチも音律も異なる音楽にまで対応できる人は、極少数のようです。
そうなると、ますます何の役に立つのだろうと疑問に思ってしまいます。

また、絶対音感の有無に拘わらず、耳の良い人なら、元の調より一音高く転調しただけで違和感を覚えます。
脅迫観念のように「絶対音感」がないと音楽ができないと思っている人がいたら、 そんなことないですよ、と言ってあげたいです。

幸せな音楽

頑張って毎日更新していたら息切れしてしまいました
暖かかったり急に寒くなったり....
小学校の校長先生は二月ぐらいになると、朝礼で必ず一度は「三寒四温」という言葉の解説をしてくれました。
最近のこの感じでは「二寒五暑」ジェットコースターで上がり下がりしているような季節の動き(もはや移ろいとは言えない)ですよね。

さて、年度末だし、演奏会も二つ控えていて何となくお疲れモード。
そんなときにふと思い出して野村誠さんの「せみ」というCDを聞き始めました。
2002年(8年も前!)に水戸芸術館で収録した箏衛門+ワークショップの参加者の演奏も一曲入っています。
この時は数回にわたって子供達と保護者を対象にお箏を使ったワークショップを行い、子供達が自分で作り出したリズム(おかげで結構な変拍子)を元に野村さんが曲を作りました。
即興があったり真似っこがあったり楽しさいっぱいの曲です。

演奏しながら、いつものようにそれなりに周りに注意を払ったりアンサンブルに気を遣ったりはしたのですが、同時に不思議に幸せな空気に包まれた忘れられない演奏でした。
曲自体が楽しいこともあるし、子供や大人までもがハッスルして楽しんでいたし、きっと幸せな魔法がかかったんですね。
そのせいか、疲れた時、気持ちがささくれ立った時にふとこのCDを思い出すことが多いのです。

この曲の最後はフェードアウトする指示が出ていました。
でも、照明を徐々に落として雰囲気作りまでしたのに、子供達は音を出すことに夢中になってしまい、いつまでも即興が続いて本番はなかなか終わりませんでした。
今思うと、あの演奏会は音楽の大切なものの一つを示していたのかなと思います。
音を出して聞く喜びを体験したあの子達は今どうしてるのかなと思い出します。
一番小さい子でも、もう中学生にはなっているはずです。
音楽って、本当はすごく自由で楽しいんだよ!ってことを覚えていてくれるといいな。

音楽の不思議

身内のことで恐縮ですが、私の母は趣味で女声合唱団に入っています。

途中で名前や指導者が変わったりしましたが、私が小学校の頃から同じ団にいるので合唱歴はン十年。
いわゆるママさんコーラスなのですが、今やママとは言えない平均年齢です。

先日実家に帰った際、最近の演奏会の録音を聞かせてもらいました。
ピッチが下がってしまったり声質がバラバラになったり、テクニックには時々破綻があるのですが、歌に妙に人を引き込む力があります。

特に、新川和江の詩をテキストにした「果実の歌」は、「母であり娘である自分の思い」を語った内容だけに、ものすごくリアルな印象を受け、自分の中で色々な思いが喚起されて泣けてしまいました。
もちろん私は、団員の多くが母親としての経験を経て今に至っていることを知っているのでそう感じてしまう部分はあります。
でも、昨年この曲を福山で歌う機会があった際には、それを聞いて大泣きした人がいたそうで、私の予備知識を差し引いてもかなり説得力のある合唱なのは間違いないと思います。

母によると、この曲を完成させる課程で、詩の表現するところ、意図するところについて指揮者も含めて団員同士で話し合い考える機会が多かったとか。
おそらくその課程で共通認識が生まれたのでしょう。
そのためにこの曲は強力な説得力を持ち得たのだと思います。

音楽の不思議なところは、人を魅了し伝わる音楽と、テクニックの完成度とは必ずしも関係はない点です。
もちろん音楽を受け取ることに集中するためには最低限のテクニックは必要ですが、

テクニックのない伝えたいことのある音楽、

テクニックの素晴らしい伝えたいことのない音楽
では、
私は圧倒的に前者の方を好みます。
後者の音楽は、圧縮袋に入れられて真空パックにされるような苦しさを感じてしまうのです。

明らかにバイト感覚で演奏しているプロのオーケストラの演奏にがっかりしたり、破綻はありながらも曲の内容に踏み込んだ素人の合唱に感動したりしていると、演奏家って何なのだろうと考えてしまいます。



呼吸を合わせる

昨日は久々に一恵先生のレッスンを受けました。
このところなかなか先生とスケジュールが合わず、何ヶ月も受けていませんでした。
昨日も唯一スケジュールが合った一日。
持っていった曲は、27日の演奏会で演奏する五段砧です。

暗譜が苦手な私。特に音の混ざる合奏は苦手です。
普段音源に合わせて練習したりと工夫はしていますが、やはり人間の演奏とは感覚が違うのです。
先生にお願いしたら、
「レッスンで合奏するなんて十何年ぶりだわ」
とおっしゃりながら合わせて下さいました。

少し進歩したかもしれないなと思うのは、前より相手に呼吸を合わせられるようになったことです(多分)。
耳に入っていても合わせられなかったり、合わせているつもりで合っていなかったり…

でも、昨日は先生と呼吸のやりとりが出来ていると感じられる瞬間が何回かありました。先生の出す音が、直接
「こうするわよ」
と語りかけてくるように聞こえ、まるで会話しているような不思議な感覚になり、すごく楽しかったです。

忠夫先生が生きていらした頃は、お二人で音楽で会話していたのかなぁ。
きっと、提示し合ったり駆け引きしたりシンクロしたり、色々な「会話」が音で交わされたんだろうなぁと思います。

残念ながら、お二人の演奏を聞いたのは十代の頃でそういう耳を持っていませんでした。
今聞いたらきっと全く違った風に聞こえたはずです。
残念…

耳コピー→楽譜

クリスマスが近づいてきました。
クリスチャンではないので、今年もいつもの平日同様に静かに過ごす予定です。
とはいえ、お仕事で行っている日本料理店では、この時期クリスマスっぽい曲を弾く時もあるんですよ。

問題は、そう言う曲は楽譜が出ていないか、出ていても大抵3パート以上の合奏曲で7音階の調弦になっている点です。
お店ではメドレーで休みなく弾くので、一曲ずつ大きく調弦を変えるわけにはいきません。
このため、一人で5音階の調弦で弾けるように書き直すか、全く新たに自分仕様に書かなくてはなりません。

そんな時携帯の着メロサイトは大変便利です。
着歌フルをダウンロードして耳コピーし、箏の調弦に合わせて楽譜を書きます。
HI350290
こちら、採譜時のメモです。
専門の方にお見せするのはお恥ずかしい代物ほぼ暗号です。
今回は五線譜と横書き箏譜のミックスのような感じ。
リズムを表す音符の下に階名を書いています。
酷い時には簡単な階名のメモで終わったりするので、曲をよく知らないと後で再現できなかったりします。

さて絶対音感がなく聴音も出来ない私がどうやって採譜するか不思議な方もいるかもしれません。
まず、曲の冒頭の2.3音が音階のどの位置にあるか調べます。
例えば日本のポップスで明るい曲の場合、たいていド・ミ・ソのどこかから始まります。
で、この曲の場合、幸い最初は音程関係が長3度・長2度と並んでいますから、これらの構成音は全音・全音というように並んでいることが分かります。
で、ドからシまでの間に全音が並んでいるのは、ドレミかファソラかソラシしかありませんから、最初の条件を当てはめるとドないしソの可能性の音が確定します。
後は半音が出てくる位置を探して、曲の最初の一音が音階の何の音から始まっているかを決定するわけです。

説明すると長いですが、慣れるとわりとさっさとできます。
で、後は曲を聴きながら音程を書いていくのです。
主音の位置を調べるのが面倒な時は、ドレミではなく長2とか短3とか完4とか音程関係をメモしている場合も…そうなると見た目はまさに暗号。
ま、分かればなんでも良いのです。

採譜したら楽器で音を出し、間違っていないか確かめます。

しつこいようですが、私は絶対音感がなく聴音も出来ないので間違っていることが多々あるのです。

最後に、5音階の陽旋法の調弦(乃木調子・楽調子またはその変形)で弾けるように曲の調を変えて弦名譜に書き直す訳です。

この5音階の調弦で弾けるように書き直す作業が結構大変です。
日本のポップスって案外シかファが抜けていることが多くて比較的楽ですが、途中で転調があるとお手上げ。
それから最近は世代を超えた愛唱歌がなく、しかも流行り廃れが激しいので、しょっちゅうこの面倒な作業をしないといけません。

ところで、たまに若いお客さんからヒップホップをリクエストされることがあるのですが、これだけは難しいです。
というのも、これら語ることが重視の音楽は同じメロディーをひたすら繰り返してことが多く、弾いても意味がないのです。
素人の私が着物着て歌詞を歌ったらほぼ浪曲でしょう?

ポニョもだんだん賞味期限切れになりつつあるので、早く次の曲を見つけなくちゃ。
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